昭和30~40年代の国鉄の電車特急といえば、流線形スタイルのこだま形ボンネット特急であろう。この車両は、昭和33年(1958年)11月に、東海道本線の東京〜大阪間を走ったビジネス特急「こだま」が最初で、その後形式違いの車両が全国に登場していったのだ。昭和40年代、オイラの住んでた東北本線沿線では、上野発着の特急が数多走っていた。その中でも本数の多かったのが上野〜仙台間の特急「ひばり」で、旧型客車ばかり乗っていたオイラにとって特急電車とは憧れの乗り物だったのだ。
そんな特急電車の思い出だが、オイラが小学校に入ったころ、旧型客車の鈍行列車で福島の祖父母の所へ行く時に、踏切事故で1時間近く田舎駅で足止めをくらったことがあった。その時、側線に特急電車が入って来て、横に食堂車が停車したのだ。夏場での旧型客車は窓全開、隣に停車してた食堂車の調理場もわずかに窓が開く構造だったので、真横の席の子供達が手を伸ばし紙コップで水をもらっていた。オイラも仲間に入れてもらい水分補給をしたことがあったのだ。当時の列車は窓を開けられ、調理場の人達も大らかだったからこそ実現した、昭和のほのぼのとした出来事である。
2016年07月
オイラが子供のころはエアコンが普及しておらず、夏に涼しさを求めるにはうちわや扇風機に当たるか、冷たいものでも飲み食いすることであった。夏休みになると近所のお菓子屋に毎日のように通い、いろんなアイスを食べたものである。特に、メロンボール、タマゴアイス、ホームランバーが懐かしい。メロンボールは、無果汁のメロン風味シャーベットアイスで、クリームソーダの炭酸抜きのような味であった。ホームランバーは片手でバニラアイスが食べれるのが良く、バーに刻印された当たりクジも楽しみだったのを思い出す。
一番懐かしいアイスといえば、何と言ってもタマゴアイスであろう。食品用ゴム容器にバニラアイスを充填したもので、見た目がタマゴのようであった。このアイスは、ゴムの先端を切っておっぱいを吸うようにアイスを吸い出すという何とも嫌らしい食べ方をするので、おっぱいアイスとも呼ばれていたのだ。数社から発売されてたようだが、井村屋から発売されてたタマゴアイスが数年前に製造中止になったのだ。理由はアイスが吹き出すというクレームによるものだったらしい。オイラの子供時代は、残り僅かになるとアイスが吹き出すのが面白く、手をベタベタにしながら楽しんでたが、こんなことがクレームになるとは時代も変わったものである。
昔は薬局やドラッグストアーに置いてあった「仁丹」だが、現在はすっかり見かけなくなってしまった。若者にいたっては、「仁丹」すら解らないようだ。「仁丹」とは16種類の生薬を配合して丸め、銀箔でコーティングした丸薬のことで、口臭予防の嗜好品である。名前の由来は、儒教の教えの徳とされる「仁」と、良薬や丸薬の意である「丹」を合わせたもので、創業者の森下博が命名し、明治33年(1900年)に商標登録したそうだ。
かつてホーロー看板や、浅草の仁丹塔の看板で知名度もあった仁丹だが、現在は年配者の需要にささえられてるようなので、知る人ぞ知る懐かしいものになってしまったようである。
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