本町三丁目の夕日 ~昭和レトロ雑記帳~

懐かしさ漂う昭和の風物や思い出等を独自の見解で語るブログです(^^♪

2016年10月

自動式電気釜

電気釜



電気釜とは今でいう炊飯器のことで昭和初期頃から商品化されてたようだが、普及したのは昭和30(1955)年12月に東芝から発売された自動式電気釜の登場であった。当時、釜で米を炊く作業は、主婦にとって掃除、洗濯と同じく時間の取られる家事であったのだ。ところが電気釜の登場により炊飯作業が自動に変わり、主婦の家事労働にかかる時間が大幅に短縮したのである。

オイラの家にもこの東芝製の電気釜があり、毎日の食生活でお世話になっていた。幼い頃の記憶で、ご飯の炊き上がるころに蓋が水蒸気で上下にカタカタ動き出し、母親からこの力が蒸気機関車と同じ原理だと教えられたのを思い出す。ところが、いつしかオイラの家は電気釜でなくガス釜に変わっていたのである。電気では火力不足で美味しくなかったらしいのだ。現在の炊飯器はそんなことはないが、オイラは今だにガス炊飯器へのこだわりを持っている。何故かといえば、パンや麺類よりご飯の好きなオイラにとって、大規模停電になってもご飯が炊けるからである。


35ミリカラーフィルム

35ミリ ネガフィルム


かつて、カメラの撮影に欠かせなかったのがネガフィルムで、昭和40~50年代は、「フジ」、「サクラ」、「コダック」3社のフィルムが主に販売されていた。リバーサルフィルムやポケットカメラ用などフィルムの種類は豊富だったが、上記画像の35ミリフィルムの需要が一番多かったであろう。

昭和50年ごろ、欽ちゃん(萩本欽一)がテレビCMで「4枚増えても値段が同じ、どっちが得か、よ~く考えてみよう」 と言ってたサクラカラーのCMがあった。当時一般的なカラーフィルムは、12枚撮り、20枚撮り、36枚撮りの3種類だったが、サクラが20枚撮りと同価格で24枚撮りのフィルムを発売し、その後フジとコダックも追随して24枚撮りなった経緯があったのだ。当時、親から譲り受けたハーフカメラでの撮り鉄だったオイラは、安く済むモノクロフィルムを使用していた。特に「ライトパン」確か10枚撮り?の格安フィルムを好んでいた。10枚とはいえ、1枚分で2枚撮れるハーフカメラでは20枚分のフィルムになるのだ。画質も半分ではあるのだが、当時のガキとしては贅沢な趣味であったのだ。お年玉をもらったりして小遣いに余裕があると、4枚増えたサクラカラーのフィルムを使うことがあった。しかし、よくよく考えてみると、ほとんどの場合は不必要な4枚分を無理して撮影してたので、写真屋の売り上げ増に貢献していたようである。

現在は、デジタルカメラやスマホや、携帯での撮影があたりまえの時代となり、フィルムの需要は少なくなった。しかし、富士フィルムとコダックは、規模を縮小しながらフィルムの製造販売を続けてるようだ。サクラカラー(現コニカミノルタ)は、平成19年(2007年)にフィルムの製造販売からは撤退したそうである。

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