本町三丁目の夕日 ~昭和レトロ雑記帳~

懐かしさ漂う昭和の風物や思い出等を独自の見解で語るブログです(^^♪

昭和の家電・精密機器

自動式電気釜

電気釜



電気釜とは今でいう炊飯器のことで昭和初期頃から商品化されてたようだが、普及したのは昭和30(1955)年12月に東芝から発売された自動式電気釜の登場であった。当時、釜で米を炊く作業は、主婦にとって掃除、洗濯と同じく時間の取られる家事であったのだ。ところが電気釜の登場により炊飯作業が自動に変わり、主婦の家事労働にかかる時間が大幅に短縮したのである。

オイラの家にもこの東芝製の電気釜があり、毎日の食生活でお世話になっていた。幼い頃の記憶で、ご飯の炊き上がるころに蓋が水蒸気で上下にカタカタ動き出し、母親からこの力が蒸気機関車と同じ原理だと教えられたのを思い出す。ところが、いつしかオイラの家は電気釜でなくガス釜に変わっていたのである。電気では火力不足で美味しくなかったらしいのだ。現在の炊飯器はそんなことはないが、オイラは今だにガス炊飯器へのこだわりを持っている。何故かといえば、パンや麺類よりご飯の好きなオイラにとって、大規模停電になってもご飯が炊けるからである。


8ミリ映画(フジカシングル8)

8ミリ映画


現在はスマホやデジカメで動画を手軽に撮影できるが、昭和30~40年代に主流の動画は映画や業務用のビデオであった。いずれも高価で庶民に手が出るものでなかったが、家庭向けに8ミリ映画というものがあった。撮影した8ミリ幅のフィルムを現像して、映写機で映して鑑賞するものである。教育用や産業用としても利用されており、夜の温泉街でのピンク映画上映会でも活躍していたのだ。

オイラは動画撮影に興味があり、新宿のみ店舗のあった時代のヨドバシカメラで、8ミリカメラと映写機や編集機材を購入したのである。ビデオが普及するまでの数年間ではあるが、色々と動画を撮影し編集して楽しんでいたのだ。映写機があったのでブルーフィルム(今でいう裏ビデオ)を観ることもできたが、高額な出費になるので断念したのも懐かしい思い出である。

8ミリ映画は昭和7年(1932年)アメリカのコダック社から発売されていたが、普及したきっかけは昭和40年(1965年)に女優の扇千景を起用した「フジカシングル8」のテレビCMであった。流行語にもなった「マガジン、ポン」「私にも写せます」のキャッチフレーズが撮影の手軽さ謳い、CM効果で8ミリ映画は一般家庭に普及していったのである。ところが、昭和50年代に入ると、ビデオの普及で8ミリ映画は衰退し、平成に入るとフィルム販売と現像サービスは徐々に終了していったのである。

カシオミニ

カシオミニ

今では100円ショップでも電卓が売られてる時代だが、昭和47年(1972年)8月に発売された「カシオミニ」は、世界初のパーソナル電子計算機として衝撃的デビューを果たした。当時電卓は企業向け商品で価格は4万円台であったが、個人向け電卓として発売した「カシオミニ」は4分の1のサイズになり価格は12,800円。発売後10ヶ月で 100万台を販売する大ヒットとなったそうである。ところが、カシオミニの発売が電卓市場の価格破壊の始まりとなり、多くのライバルメーカーが市場から撤退してしまったのだ。その後電卓は、シャープとカシオの2大メーカーで、価格と機能を競い合う時代が続くのである。「カシオミニ」は、2008年10月に国立科学博物館が認定する未来技術遺産に認定されたのだ。

 昭和48年ごろによく流れていた「カシオミニ」のCMソング
「とかくこの世は計算さ~♪  数と数との絡み合い~♪ ・・・答え一発 カシオミニ♪」
岡田奈々が歌っていたとは、この記事を書くにあたって驚きであった

  

ステレビジョン

ステレビジョン


昭和37年(1962年)ごろ、シャープ(早川電機)のカタログに、テレビとステレオが1台になった「ステレビジョン」という家電があった。正式名称は「シャープグランドステレビジョン」と言い、テレビ界最高のデラックス型!との宣伝文句である。当時の価格で84,800円、14型・4スピーカーステレオアンプ付テレビで、4スピード・ステレオプレーヤーが内臓されているものであった。ステレビジョンの発想は、当時から目の付けどころがシャープであったことを物語っているのだろう。 一昔前に「テレビデオ」、現在はオイラの家にもある「ハードディスク内臓液晶テレビ」と、テレビに他の機能を1台に集約した家電は場所を取らず便利なものである。

シャープは、創業者の早川徳次が1915年に「早川式繰出鉛筆」を発明し、商品名を「シャープ・ペンシル」としてヒットさせた。その名が現在の社名の由来になったことは有名である。関東大震災で工場が焼失し、大阪で再起を図った鉱石ラジオの発売が、家電メーカーになったきっかけのようだ。「早川電機」から「シャープ」に社名を変え、昭和30年代には日本の大手電機メーカーの一つとなったのだ。近年「液晶のシャープ」として一時代を築いたが、液晶にこだわり過ぎた経営の失敗で、外資系企業の傘下となってしまったのは誠に残念である。

富士電機トースター

富士電機トースター1


台所の奥から昔使っていたトースターを発見。 オイラが子供のころでさえ古くさいと思っていたものである。 ブランドは「富士電機」、今では自動販売機で国内シェア1位の会社だが、昭和40年代までは洗濯機や掃除機などの家電も製造していたのだ。


富士電機トースター2

この富士電機製トースターは、両開きの蓋にパンを入れて焼くのだが、タイマーが無いので様子を見てないと焦げてしまうのだ。焼き方を失敗すると包丁の反対側で焦げを削り取るのがお決まりの行動であった。 このトースターはパンの片面しか焼けないので、焼けたころ蓋を開き反対側をもう一度焼いて両面焦げ目を付けるのだ。蓋を開くとパンが自然に反対側になるのは便利だが、両面焦げ目を付けるのに二度手間となり時間がかかるので使い勝手は悪かった。 

そんな時代に現れたポップアップトースターは、自動でパンが焼ける便利な最新家電であったのだ。もちろん焦げを削り取ることも無くなった。


ベータ方式ビデオテープ

ベータテープ

オイラの父親は大の家電好きで、目新しいものを秋葉原でよく買っていた。そのころよく聞かされていたのが「ソニーの技術が一番である」であった。確かに当時のソニーといえば画期的な製品が多く、技術のソニーなんて言われていたのである。そんな昭和50年ごろ、ソニーは家庭にVTRが普及するきっかけとなった、ベータ方式のカセットビデオテープレコーダーを発売した。その名はベータマックス、もちろん我が家では一般家庭よりいち早くビデオテープレコーダーを購入したのである。 その後ライバルとなるVHS規格レコーダーの圧倒的普及によりベータ方式は市場から姿を消してしまうのだが、父親からソニー魂を伝授されたオイラは意地でベータ方式のビデオレコーダーとベータ方式ビデオテープを買い続けていたのだ。いつしかレンタルビデオもVHSテープが主流になり悔やまれる日々を過ごしていたのである。 そんなソニーもついに平成元年にVHS方式のVTRを発売したのだ。オイラも遅まきながら初めてそのソニー製VHSビデオテープレコーダーを買ったのだ。それから20数年後、ビデオテープレコーダー自体過去の物となってしまった現在、ソニーは来年ベータ方式ビデオテープの販売を終了することを決めたそうだ。再生・録画用レコーダーはすでに平成14 年に販売終了していたので、これでベータ方式は約40年の歴史に幕を下ろすことになった。昭和の家電がまた一つ過去の物となるのである。

白黒テレビ

ゼネラル

白黒テレビ



昭和30年代の主要家電メーカーだった「八欧電気」のカタログを大切に保存している。ブランド名は「ゼネラル」で、テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった三種の神器や、ステレオ、掃除機等の家庭電化製品を生産する総合家電メーカーであった。「八欧電気」は昭和41年に「ゼネラル」と社名を変更し、昭和59年に富士通と資本業務提携して「富士通ゼネラル」となり、現在は冷暖房、空調機器生産が主流の企業になっている。

このゼネラル製テレビのカタログに線が引かれているのだが、実はオイラが幼少時のころ家にあった白黒テレビがこれで、父親が購入時に書いたものと思われる。当時のテレビには観音開きの扉があったりと、ガラス製のブラウン管を守る発想があったようで、我が家ではテレビを見ない時はブラウン管に布が被さっていた。懐かしいのは、スイッチを入れても30秒くらいしないと画面が映らないこと。パソコンが瞬時に起動しないのと同じである。リモコンなんて無い時代、チャンネルは右側にあるボタンをカチカチ回し選局していた。クソガキだったオイラは遊び半分でガチャガチャ選局しており、いつしか壊してしまったことを鮮明に覚えているのだ。両親のカミナリが落ちたことは言うまでもない。

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 我が家にあった白黒テレビ
父親と可愛いオイラ

ラジオカセットレコーダー

MAC-ff


オイラの父親は新し物好きで、オープンリールの録音機を持っていた。子供のころマイクに向かってしゃべると、その同じ声がすぐに聞けるという何とも不思議な電気製品だと感じていた。その後、リールにテープを巻き付ける必要のないカセットテープが普及し、父親のDNAを受け継いでいたオイラはラジカセが欲しくてたまらなかった。ラジオすら持てなかった当時、ラジカセはとても手が出ない憧れのもので、電気店でカタログを集め眺めているだけの日々であった。そんな小学5年生の時、経緯は忘れたが(多分「勉強」絡みのこと?)、自分で選んだラジカセを父親から買ってもらえたのだ。その名はナショナル(現パナソニック)の通称「マックff」(RQ-448)である。マックといっても、マクドナルドやアップル社とは何の関係もない、当時のナショナルラジカセのブランド名である。オイラがこの機種を選んだ理由は、ラジカセの中に脱着できるFM電波のワイヤレスマイクが収納されていたからで、トランシーバーごっこをしたり、拡声器代わりにしたりと楽しんでいた。今思えば「だから何なの」だが、その時代には画期的な製品だったのだ。そのころオイラの父親はマイクロカセットレコーダーを所有しており、さすがの新し物好きには恐れいった。 その後ステレオラジカセ、CD付ダブルラジカセと時代の流れに沿って買い替えていったが、「マックff」はオイラの所有した電気製品の原点であるのだ。
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